「多摩地区そして日本各地の画像集」管理人・S崎の都市訪問記


2009年1月11日・今年の「街歩き初め」は宮崎から


今年の正月は2日に休みを取り、学生時代の友人と旧交を温めた以外は普通に仕事をこなしていました。ホテル
勤めの私にとって、これは例年通りの行動パターンです。
ようやく、松の内も明けた頃に連休を取り、早速、今年の「街歩き初め」を行ってきました。
今回の訪問地は宮崎県です。ルートは以下の通りです。

1日目
宮崎空港→飫肥(日南市)→油津(日南市)→南郷町→串間(串間市)→志布志(志布志市)→宮崎市(泊)
2日目
宮崎市→高鍋町→新富町→西都(西都市)→国富町→綾町→宮崎空港(終)

今回は往復にスカイネットアジア航空を利用しました。この航空会社は料金も安いのですが、羽田発の時間が一
番早く、九州各地発の時間が一番遅いので、東京在住の私にとっては、現地での滞在時間を一番有意義に使え
るため、利用する事が多いです。

1日目

飫肥
飫肥(おび)は日南市の北部に立地する、伊東氏5万石の城下町として栄えた街です。中心部は飫肥駅の西、酒
谷川に巾着型に囲まれている地区になります。
ここは飫肥城跡をメインに観光開発も行われており、大型観光バスで団体客も乗り込んできてましたし、個人旅行
者の姿も散見されました。商店街は飫肥地区を東西に貫く国道222号線沿いに形成されています。この商店街に
は歴史を感じさせるような商店も見られますが、観光客が商店街に流れるような状況にはないようです。国道222
号線の北側にはちょっとした歓楽街も形成されています。

油津
油津(あぶらつ)は日南市の南部に立地する港町です。油津港の北側には歴史を感じさせるような街並みが形成
されています。街を南北に貫く堀川運河には立派なアーチ型の橋が架かっています。この橋は映画「男はつらいよ」
のロケにも使われた橋で、映画を見ていた私は結構感激しました。
油津地区の商店街は油津駅の北東に形成されています。ここにはサンプラージュ岩崎と油津一番街という2つの全
蓋式アーケードを備えた商店街があり、この商店街はL字型で繋がっています。ほかにも飲食店を中心にした商店
街が東西に並行して2本伸びており、なかなか貫禄を感じさせる商店街となっています。
 ←油津のアーチ型の橋

南郷町
南郷町は南郷駅から港のある目井津地区まで歩いてみました。
国道220号線沿いには南郷駅前から目井津港まで断続的に商店が並んでおり、想像していたよりも立派な商店
街でした。また、目井津港付近よりも、南郷駅付近の方が商店街の密集感が強く、この点も意外でした。
なお、この町は今年の3月30日に日南市と合併する事が決定しています。

串間
串間市の商店街は串間駅の西側の国道220号線沿いと、串間市役所の東側に南北に伸びる通りに形成されて
います。
また、国道220号線の南側にはちょっとした飲食店街もありました。
全体的にこじんまりとした印象ですが、商店街は密集感もあり、良い雰囲気でした。
この街に限らず、今回訪れた宮崎県内の各地の街では和洋菓子を扱う商店が元気に見えました。
宮崎銘菓である「チーズ饅頭」をはじめ、どこも豊富なラインナップを掲げているようで、福岡県の筑豊地方のよう
な、お菓子文化とでも言うものが宮崎県でも根付いているのかな?と感じましたが、実際のところはどうなのでしょ
うか。

志布志
この日の最後は県境を越えて、鹿児島県の志布志を訪れました。
志布志は古くから港町として栄えた街で、その歴史は奈良時代頃にまで遡るそうです。現在も大阪までの定期航
路が開かれています。
商店街は中心部を東西に貫く国道220号線沿いと、志布志市役所志布志支所(さて「し」の数はいくつあるでしょう
?)の南側に東西に伸びる通りに中央商店街、昭和通り商店街が形成されています。
ここの商店街は密集感のある商店街で歩いていて楽しめました。また、国道220号線沿いには割と大き目のマン
ションや業務ビルが並び、旧郡部としては迫力のある景観となっています。

この日は、この後、都井岬を観光しました。
都市岬灯台付近から見る景観は迫力のある景観で、思っていた以上に感動しました。
また、有名な野生馬はもちろん、ニホンザルの姿も見る事が出来、この点でも感動を得る事が出来ました。
 ←都井岬からの風景

この後、串間温泉で湯浴みをした後、宮崎市内のホテルへ投宿、夕食を兼ねて、夜の宮崎市街へ繰り出しました。
宮崎の夜の街も賑やかでしたね。九州の県庁所在地はどこも非常に活気があり、歩いていて、とても楽しい気持ち
になれます。
     ←夜の宮崎市

2日目

高鍋町
2日目はまず、高鍋町を訪れました。
高鍋駅から高鍋町役場付近まで歩きましたが、中心部は高鍋駅から2キロほど離れた高鍋町役場の東側の一帯に
なります。
商店街は地区を東西に貫く県道24号線沿いと、南北に貫く304号線沿い、また、県道304号線に並行して中町名店
街、一番街、立花の3つの商店街が形成されています。昔ながらの商店が中心の商店街ですが、貫禄を感じさせる
商店街で、中心部に大型店が2つ残っているなど、そこそこの活気を感じる街です。
高鍋駅周辺には中小商店が散見されるものの、特に商店街などは形成されていないようでした。

新富町
新富町は戦後に開発が進んだ街で、宮崎市の衛星都市の側面が強いようです。
商店街は日向新富駅から西へ500mほど進んだ富田地区に形成されています。こじんまりとした商店街で、距離もせ
いぜい200mほどですが、綺麗に整備されており、明るい印象の商店街です。商店街にはチェーンスーパーのサンリ
ブも立地しており、この点も衛星都市的な風景となっています。

西都
西都市は西都原古墳群で名高い都市です。この街の中心部は西都市役所の東側一帯になります。
妻町一丁目、二丁目に形成された平助商店街や、県道24号線の南側に並行して伸びる通り沿いに形成された商店
街が西都市の中心商店街になります。妻交差点の東にパオというショッピングモールが立地していますが、このショッ
ピングモールの北側には片屋根式のアーケードが設置された商店街が形成されており、この街が商業地として成熟し
ている事を感じさせます。自衛隊の基地が近いためか、飲食店街も立派なものでした。

国富町
国富町は街の中心部を東西に貫く県道26号線沿いに中小商店が並びます。この通り沿いは綺麗に整備されており、
新しい商店も見受けられました。この県道26号線の南側に並行して昔ながらの商店が並ぶ商店街も形成されていま
す。宮崎市の中心部から、さほど離れていない場所なので、宮崎市の衛星都市の側面も強いのでしょう。

綾町
綾町の中心部は綾町役場の南側の県道26号線沿いになります。
商店街はこじんまりとしたものですが、生活感の漂う、なかなか良い雰囲気の商店街です。
国富町の中心部から6キロも離れていないので、綾町には国富町に買い物に出かける方も多いのではないかと思わ
れます。

今回訪れた宮崎県(+鹿児島県志布志市)の街はどこも派手さはないものの、情緒を感じさせる良い街ばかりでした。
東国原知事ブーム以降、宮崎県を訪れる観光客数が伸びている事は、決して一過性のブームではなく、元々、この県
が持っていた素晴らしい素材が改めて衆目を惹き付けているのだと思います。なにせ、宮崎県は昭和30年代から40年
代にかけては、新婚旅行のメッカと称されていたほどの風光明媚な土地なのです。宮崎県が再び一大観光地として栄
え、各地の中心市街地に活性化をもたらす事を、一宮崎県ファンとして願ってやみません。

今回、帰りの飛行機が羽田に着陸した後、機内アナウンスでフライトアテンダントの方が涙ながらに、今回のフライトが
ラストフライトであり、今まで多くの乗客の方と触れ合う事が出来たことを嬉しく思う、というような事を話されていました。
私は飛行機には100回以上は乗っていますが、こうしたアナウンスは初めて聞きました。
私にとって旅行というのは最早日常的な行為となっており、今回のフライトも数ある旅行の一つに過ぎないのですが、こ
のフライトアテンダントの方にとっては生涯忘れる事の出来ない特別なフライトになったはずです。そう思って機内の乗客
を見ると、子連れの方や、老夫婦の方など、色々な人がおり、こうした人々も一生の思い出として旅行を楽しんでいるの
かも知れません。先に書いたように、私にとって、旅行は日常の行為になりつつあり、ともすれば感動も薄れがちになって
いた部分もあったのですが、今回の出来事により、もっと一つ一つの旅行を大事にし、しっかりと記憶に刻み、自分の糧
にしていこうと思いました。
年の初めにこのような思いをさせて下さったスカイネットアジア航空及び、その乗務員の方々に、この場を借りてお礼申し
上げます。

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私の近況
【最近読んだ本】
「都市計画の世界史」日端康雄(講談社現代新書)

【本日のBGM】
「銀河空港」キャンディーズ(作詞・竜真知子 作曲・馬飼野康二 編曲・馬飼野康二 1977年)
タラップのぼれば もう逢えない
思わず私 ふりむくの
あんなに愛した あなたなのに
これが私たち 二人には
最終便なのね