「多摩地区そして日本各地の画像集」管理人・S崎の都市訪問記

2009年12月21日・呉線沿線は日暮れて 夕波小波


前回の鳥取旅行から1ヵ月後、再び中国地方を訪れました。
今回の目的地は広島県です。
八王子駅前発4時35分のリムジンバスで羽田空港へ、羽田発6時55分のJAL1601便で一路広島空港へ。
広島空港には8時25分に到着、そこからリムジンバスに乗り込み、最初の目的地の三原市には9時20分過ぎに到着します。

三原
三原は2004年2月に一度訪れており、今回は5年10ヶ月ぶりの再訪問となります。
三原の商店街はJR三原駅周辺に比較的コンパクトにまとまっています。
前回、三原を訪れた際に駅前に立地していた天満屋が撤退して更地になっていたのは驚きましたし、帝人通り商店街のアーケードが
撤去されていたのにも驚きました。
ただ、厳しい状況下において手をこまねいているだけではなく、帝人通り商店街にはマンションとデイ・サービス施設の複合施設が新し
くオープンした模様ですし、さらなるバリアフリー化を目指して、道路の改修工事も行われていました。これからも少子高齢化社会にお
いて老年層に優しい街づくりを行うことは中心市街地活性化にとっても有効だと思いますし、公共の福祉の観点からも積極的に行って
いくべき施策であると思います。
今回は駅の北側も歩いてみましたが、この地区にも本町二丁目という歴史を感じさせる商店街がありました。

竹原
三原の街を歩いた後、JR呉線に乗り込み、竹原を目指します。呉線は広島・呉間は乗った事がありますが、呉以東は初めて乗りまし
た。呉以西は大都市の通勤圏らしい雰囲気ですが、以東はローカル線の雰囲気の強い雰囲気となっています。
竹原市の商店街は駅周辺と本町地区の2箇所に立地しています。
駅周辺は竹原駅前から北方向に伸びる「あいふる316」商店街が中心商店街となります。商店街名は恐らく商店街の総延長距離が31
6mだということに由来するのだと思います。私が訪れたのは水曜日だったのですが、どうやら水曜日が休業日の商店が多いらしく、静
かな印象を受けました。この「あいふる316」商店街と東西に交わる通りにも本川や七堀などいくつかの商店街が形成されています。
本町地区のメインストリートである本町通りは江戸時代の商家が多く残る伝統的な街並みが保存された通りで、観光開発も行われてい
ます。この通り沿いの伝統的な街並みはなかなか壮観です。最近は国内旅行のガイドブックや雑誌の類は全然読んでいないので、観
光地としての竹原市の知名度がどの程度のものなのかはよく判りませんが、もっと全国的に知られても良い街並みだと思います。最も
中国地方ではこのような貫禄のある伝統的な街並みは割りとどこの街でも見られるのですが。
  ←本町通りの様子

大西
竹原から再び呉線に乗り込み、呉方面へ2駅の安芸津駅で下車。安芸津駅から徒歩3分ほどで安芸津港に到着します。安芸津港から
フェリーで大崎上島を目指します。
フェリーの待合室には買い物帰りらしきお婆ちゃんの姿や、商用で広島市から来たらしい女性2人連れなどがいらっしゃいました。
安芸津港を15時05分に出航し、大崎上島の大西港には15時40分に到着します。
港から大崎上島町役場大崎支所まで歩いてみました。県道65号線沿いに中小商店の集積が見受けられました。また、県道65号線の
南側に並行する通り沿いにも中小商店が集積されており、恐らくこの通りが旧来の大西地区のメインストリートなのでしょう。
大崎上島には白水や木江にも商店街がありそうです。本当は竹原から白水に渡り、島内を陸路で大西まで移動し、大西から安芸津に
移動する、というルートを取りたかったのですが、島内のバス路線網がどうもよく判らなかったので、今回は大西のみの訪問に留めまし
た。
  ←左・安芸津から望む大崎上島 右・大西港行きフェリー

大西港発17時10分のフェリーで安芸津に戻ります。船内は作業着を着た人たちが多く、本土から島にある工場などに通勤されている
ようでした。
安芸津港に17時45分に到着。安芸津駅から呉線に乗り込み、呉駅を目指します。
呉駅には19時頃に到着しました。ホテルは駅前にとってあるのですが、食事をかねて、呉市の中心部を散策したのち、20時30分頃に
投宿し、早めに床に就きました。
  ←夜の呉市中心部

翌日、朝6時頃に起床。コンビニで適当に朝食を買い込み、呉港に。
呉港発8時35分発のフェリーで江田島の小用港を目指します。
途中、要塞化されたような小島があり、かつて軍都として繁栄した呉市の歴史を偲ばせます。
小用港には8時55分に到着します。

江田島
江田島では小用港から海上自衛隊江田島基地のある江田島中央地区まで歩きました。
小用港から江田島中央地区までは約1キロ離れており、一定の間隔で路線バスも運行されているのですが、徒歩で移動するも結構い
らっしゃいました。
小用港周辺にもある程度の商店の集積が見受けられますが、やはりかつての海軍学校が立地していた江田島中央地区の方が密集
感のある商店街が形成されていました。全体的に思っていたよりも新しい商店が目立ちました。
また、江田島は倉橋島を通じて、本土と道路で結ばれているため、大型トラックなどの往来も多く、思っていたよりも賑やかさを感じる島
でした。
江田島中央地区から再び徒歩で小用港に戻り、10時40分発の高速船で呉に戻ります。呉港には10時50分に到着します。
 ←呉・小用間の要塞化された小島


呉の街も三原と同様、2004年2月以来の再訪になります。
呉市の中心部は綺麗な碁盤目状に整備されており、かつて軍都として全国有数の都市として栄えた歴史を感じさせる形状となっていま
す。また、市内を通る国道は片側2車線と広々としたもので、かつ国道31号線は海田町と呉市中心部を結ぶために設置された国道で、
こうした点からもこの街がかつて我が国においてどういったポジションをしめていたかが偲ばれます。
商店街は堺川の東に並行して南北に伸びる、れんが通り商店街と、この商店街と東西に交わるいくつかの通りに商店街が形成されて
います。商店街の周辺には呉市役所やオフィスビルが複数立地しており、平日でもサラリーマンやOLの姿が見受けられ、賑わいを感
じます。ただ、れんが通り商店街は全蓋式アーケードが設置されたいるのですが、老朽化が目立ち、今後の動向が気になります。
商店街周辺にはかなり規模の大きな歓楽街が形成されており、この点、基地の街として貫禄を感じさせます。
全体的に国内の20万都市の中では屈指の規模の街だと感じました。


次いで、呉市内の広の街を訪れました。
広は呉市中心部の東に立地する地区で、戦中までは広村として独立していましたが、海軍工廠があったために海軍により強制的に呉
市へと編入された歴史を持ちます。
商店街は広駅と新広駅の間、国道375号線の西側に並行する通り沿いに広商店街が形成されています。この商店街は約850mほどと
結構な距離のある商店街で、歩き応えがありました。全体にわたりタイル舗装が施されており、空き店舗も少なく、呉市中心部に近い
にもかかわらず、これだけの商店街が形成され、維持されているのには驚きました。
周辺には中規模のマンションも多く、広島市のベッドタウンとしての側面もあるようです。

吉浦
今回の旅行の最期の訪問地は呉市内の吉浦です。
吉浦は呉市中心部の西に立地する地区で、山間の小さな平地に密集感のある市街地が形成されています。
商店街は吉浦駅前から北方向に伸びる県道278号線沿いに吉浦本町商店街が形成されています。この商店街には全蓋式アーケード
が設置されています。この商店街は前述の通り、県道に設置されており、路線バスも運行されています。全蓋式アーケードの下を路線
バスが走る光景はここでしか見られないのではないでしょうか?
呉中心部、広とそれぞれ街歩きに予想以上の時間を費やしたため、日没間近の中、やや慌しかったのですが、商店街は一通り見る事
が出来ました。
 ←吉浦地区の夕陽

この後、呉線で広島駅まで移動。広島駅前から広島空港行きのリムジンバスに乗り込み、広島空港へ移動。
広島空港19時35分発のJAL1620便で帰京の途に就きました。


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【私の近況】
多摩武蔵野検定の2級と3級に合格しました。

【本日のBGM】
「情熱の嵐」西城秀樹(作詞・たかたかし 作曲・鈴木邦彦 編曲・馬飼野康二 1973年)
その笑顔 僕のもの
この若さ 君のもの
太陽が燃えるように 二人は愛を
永遠にきざもう